私たちは、自分以外の誰かになることはできません。
でも、誰かの気持ちを、まるで自分のことであるかのように想像することができます。
読者を想像して文章を書くことって、人の気持ちに寄り添う練習になるような気がしています。
CA時代、人の気持ちに寄り添う大切さを痛感していた私は、裏千家茶道のお稽古をしていました。
美味しいお菓子を頂いてお稽古に集中するのは、無の境地が感じられる心豊かな時間でした。
が、今にして思えば、それには先生のさりげない気配りの賜物だったのです。
ご存知のように茶道は400年の歴史を持つ日本の伝統文化の一つです。
茶道を学んで得られることは様々ですが、その一つに気配り力があげられると思います。
茶道のことは、いかに相手のニーズに合った気働きができるかを、創意工夫し、表現するアートとも言い換えられるのではないでしょうか。
例えば茶会を開くにあたって、亭主は当日の季節や天候や客層など様々について思考を巡らせます。
そして、お客をもてなすに際し、もっともふさわしいテーマを設定し、茶碗や茶菓や掛け軸や生花など、ありとあらゆるしつらえに気を配り、心を込めて準備するのです。
しかしお茶会の当日、その努力をひけらかすことはありません。
さりげない演出に気がつくのも、無視するのも、お客に委ねられているのです。
そんな奥ゆかしい亭主の心遣いがお客に伝わったとき、互いの心が通じ合い、一期一会と呼ばれる印象深いおもてなしが完成すると言えるでしょう。
最近の私は、文章を書くことも、茶会と似ているような気がしています。
以前の私は、文章力というものを技術力のように考えていて、テクニックを磨くのが大切だと思っていました。
でも今では、技巧を凝らすことよりも、読者を思いやっているかどうかが一番大事であると感じるようになりました。
よく、「人と話すのが苦手だから文章が上手になりたい」という人がいますが、人の気持ちを上手に思いやれない人が、文章で上手なコミュニケーションを取れるのかな?と疑問に思います。
読む人を惹きつけ、楽しませられる文章を書ける人とは、テクニックに長けている人ではなく、直接会って話をしても、人間的な深みがあり、魅力に溢れた人ではないかと思うからです。
なので、もし人と話すのが得意になりたいなら、まず文章で練習するのが良い気がします。
ブログを始める機会に恵まれたこと、幸運に思います。
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