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義務教育について思うこと

コロナ禍で、子供たちの教育について大きな変化が起こっています。

 

義務教育制度についても、時代の変化に合わせた改革が必要になってくるかもしれません。

 

日本では、「教育を受ける権利」および「教育を受けさせる義務」が憲法により定められていて、この規定に基づく教育を「義務教育」と呼称しています。

 

そして、子どもを保護する日本国民には、子どもを小中学校などに通学するよう取り計らう「就学義務」が課せられています。

 

つまり、義務教育の定義は「就学」義務であって「教育」義務ではありません。

 

そのため、諸外国によく見られるホームスクーリングは、日本においては義務教育の履行とはみなされていないのが現実です。

 

私は、日本の義務教育の定義を「就学」義務から「教育」義務へと変更し、現在の就学方法に、ホームスクーリングが選択肢として追加されればいいなと思うのです。

 

私がそう思う1つ目の理由は、学習環境の選択肢が増えるからです。

 

確かに「就学」の義務化には、全国どの地域でも一定の水準の教育を受けられるというメリットがあります。

 

日本では、教員免許を持つ教員が、学校内において教育指導要領に沿った授業を行うからです。

 

しかしながら、「教育」を学力の定着という観点から考えた場合、「就学」以外の手段もすでに複数存在しています。

 

実際にコロナ禍の影響で、オンライン授業、Youtubeの教育動画など、在宅で学べる機会が急速に増えてきています。

 

もし日本の文科省が正式にホームスクーリングを認可するならば、「就学」以外の場における教育サービスが、今後ますます発展していくのではないでしょうか?

 

2つ目の理由は、多様な個性に配慮できるからです。

 

「就学」を義務づけることは、日本人の美徳とされる規律正しさや忍耐力を養う上で効果的であるという人もいます。

 

なぜならば、「就学」とは集団生活を送ることであり、時間割に定められた生活習慣を定着させる仕組みでもあるからです。

 

確かに毎日の学校生活で、友達と一緒に部活に打ち込んだり、仲間と一緒に勉強したりしながら、他者との関わり方や社会性を学ぶことができていると思います。

 

でも、それを別の面から考えると、体質的に朝起きるのが苦手な子どもや、もともとの気質が集団生活に向かない子ども達に対しても一律に集団生活を強制する、厳しい制度であるとも言えないでしょうか?

 

例えば、不登校児と呼ばれる子ども達がいます。

 

個性的で素敵な子なのに、周りの子達と同じように登校できないというだけで、罪悪感を感じ、自分を劣った人間だと思ってしまう場合もあります。

 

ただ「不登校」であるだけで、何か悪いことをしているかのように世間から厳しい目が向けられます。

 

それが、関係する皆を追い詰めて、疲れさせてしまいます。

 

もし彼らがホームスクーリングによる義務教育を受けられるならば、自分に合ったスタイルで学ぶ事が可能となるので、学びの機会を喪失しなくて済みそうです。

 

また、病気や怪我で長期入院を余儀なくされたり、通学困難になったりした場合でも自分のペースで学べるので、勉強が遅れることを心配せずに済むようになると思います。

 

このように、義務教育にホームスクーリングという選択肢を追加することで、個人が事情や個性に応じた学習環境を自由に選べるようになるのではないでしょうか?

 

様々な事情を抱えた子供たちであっても、教育を受ける権利を平等に行使できるよう、今ある制度を多様性に配慮する方向へと見直すタイミングが来ているような気がします。

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